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ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

『見仏記』を多摩川べりで斜め読み

気になったので、一応ちゃんと買って読んでみようと思って、調布パルコの地下で肉じゃが弁当を買って、川縁でISBN:4041846021にした。

結構面白いなこれ…
前立ち読みしたときはイラストのところを中心に見ていたらしい。なーんかイラストのところは今あるものに仏像をたとえるのが多く、「仏像って、関心ない人にとってはとっつきにくいかもしれないけど、よく見てみれば、昔も今も同じ。法隆寺の百済観音像は一昔前のボディコンシャスのルーツみたいな感じだし〜」とかそういうノリなので、同意しかねる部分があったのだけれど、文は部分的には面白い。たとえば、冒頭にある、いとうせいこうの「時間的ガイジン」という観点で見るというコンセプトは、ぼくにとっては非常になじみやすかった。実際、同行者がいるときとか、住職と一対一になったりするシチュエーションでなければ、ぼくは賽銭を入れたり拝んだりはしない。ただ見るだけがほとんど…I'm just looking.と言いたい。
「時間的ガイジン」として仏像と対峙するときの態度として、その存在感に圧倒されるのか、あるいは、植民地的な感情ですべて自分の文化的文脈にむりやり位置づけるのか、二つの態度があると思うのだけれど、ぼくは前者の態度に近いと思う。『見仏記』は、この二つの「時間的ガイジン」の間を危ういバランスで行き来していのかな。

みうらじゅんの「仏像にわびさびとか求めちゃダメ」という話は非常に面白い。まあ、だからといって四天王をビートルズにたとえるのがイイという話にもならないだろうと思う。

神社仏閣における「わびさび問題」に関しては、これからも考えていこうと思う。個人的には非常に重要な問題。誰か面白い参考文献があれば教えてください。