ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

「3食ちゃんと食べないとかえって太る」ってウソだろう?


趣味や嗜好が特に合わない人と話すとき、話すに事欠いて、食事の話になることが多いと思います。というか、趣味や嗜好の合わない人と話さなくてもいい世の中にならんものかねぇ……
でも、それを考え始めると気が狂ってしまうので、明日も健やかに生きるために話をすすめますが、「朝食は取らない」的な話をすると「え?3食とらないと太るよ!」と返事する人の多いことと言ったらありませんよね。キミたちはいったいどこから来てどこへ行くのか……。(ちなみにぼくは大阪・北河内から来ました。河内地方を「ガラが悪い」と思っている方もいらっしゃるとは思いますが、ぼく以外の人はガラよしです。)


「朝食は取らない」→「3食とらないと太るよ」というやりとりの異常さについてピンと来ていない方のために解説をさせていただきますと、こちらは単に「朝食はとっていない」という習慣を述べているにすぎず、その背景には、朝食をとるのは面倒である、とか、起きたら家を出なければいけない時間だった、とか、朝食を用意したその瞬間にイノシシが部屋に入ってきてパンを皿ごと食べちゃった(実際、食べ物と皿の分別くらいはつくだろうけれど、イノシシにはそういうガサツなイメージがあります)、などの理由によるものであり、朝食をとらない人のすべてがダイエット目的であるわけではない、ということは言うまでもありません。


といっても、ここで「3食食べるようになったのは江戸時代になってからの話。食べなくてはならないというのは生物学的に決まっているわけではない」などという話をドヤ顔でしてもしょうがないので、「3食食べないと太る」説をバックアップしていると思われる三つの団体についてわたしの知る限りここに書き、注意喚起の意味も込めて警告させていただきます。


念のため、本部のビルのイラストも載せておきますので、近くを通りかかったときは「これがあのビルかぁ〜!ブログで見たよ〜」って思ってほしいです。

全日本肥満協会


この団体は高度経済成長のなか、1970年に結成された、伝統があるというほど古くはないが、かといって、根なし草であるとも言えない程度の歴史を誇る団体であります。
当時は、高度経済成長の陰に隠れて陰湿ないじめが横行しておりました。「メガネが分厚いわりに成績がよくない」「三つ編みが下手すぎて、八つ編みくらいに見える」など、いわれなき理由でいじめを受けていましたが、肥満児も、格好のいじめの対象とされていて、肥満児たちに石が投げつけられる事件が多発。内出血のため、アントシアンをまったく含んでいないのに紅芋みたいに紫色になってしまうのでした……。
「このままではうちの子が危ない」と、すでに十分危なかろうというタイミングで肥満児の父兄が立ち上がって結成されたのがこの協会です。肥満児の地位向上のためにデモ行進をしたりしていたのですが、どうにも偏見はやまないので、「じゃあみんな肥満になれば仲よくできるよ。ただし肥満も度を越すと太ももと太ももの仲が悪くなって小競り合いを起こすかもしれないけどね!」ということで、「3食の方がむしろ太る」という情報を流し、「痩せたいと思っている人を太らせる」ビジネスを編み出したのです。なお、ビジネスといっても儲かるわけではないのが難点。

全日本穀物協議会


GHQがアメリカ国内で余っていた小麦の消費を増やすため、戦後、日本の学校給食でちびっこたちにパン食を普及させた話はあまりにも有名な話。しかし、コンビニのパンコーナーで「この小麦粉の塊はこう見えても陰謀によるetc.」みたいなのをドヤ顔でする大学生があまりにも増えてしまい、穀物のイメージダウンを恐れた農家が、もっと穀物について楽しい話をして穀物の消費量を増やしたい、という思いから設立したのがこの団体なのです。
ここでテコ入れの対象になったのはやはり、抜きがちな朝食。「チョーショくん」というキャラクターを発案し、イラストを発注したのはいいが、アヒル口が憎たらしくて食欲が減退するということでキャラクターの存在が疑問視されています。
この協議会のメンバーの見分け方は簡単。3食をすすめてきたときに「わかった!でも炭水化物とかを摂るとデブになるから、豆腐とかを食べるね」と返事をしたら、みるみる表情が曇るのです。

グリム童話研究会


むかし、「本当は怖ろしいグリム童話」という本が売れに売れました。「かわいらしくて夢いっぱい」というイメージの童話が、実は恐ろしい話だったという話は日本中に衝撃を与えました。当時はまだ大地震や原発事故もなかったので、その程度で日本は震撼していたのでございます……。なんて平和な時代だったんでしょう。
そんなリアルな感傷はさておき、二匹目のどじょうをねらって、「生活にひそむ意外なもの」全般をつかさどる団体として、元ヤンキーの高校教師を呼びかけ人として発足した団体です。この中では歴史が浅い団体ですが、「塩キャラメル」などを開発したり、「外はサクサク、中はトローリ」したたこ焼きなどを発明しています。
しかし、「塩なんとか」の普及に伴って、むしろ塩を入れないことの方が意外で、「塩なしキャラメル」などがバカ売れするようになってからは、活動は沈滞ムード。そこで起死回生を図って、食べ物というよりも食事全般の話ができるとスケールが大きくていいよね、という話になり、食事の回数と肥満の関係について調べたわけでもないのに、「食事の回数を増やした方がむしろ痩せるなんて!」と驚く顔が見たくて、つい「3食ちゃんと食べた方が痩せる」という説を唱えるに至ったのです。



以上、「3食食べないと太る」に潜む陰謀について告発させていただきましたが、本当に問題なのは、食べ物を残したら怒る人です。なぜなら、そこで残さず食べても単に新たなるデブが誕生するだけであり、そこで無理に食べたからといって飢え死にした子がビクンビクン…と蘇ったりすることはないからです。問題にしたいのであれば、食べきれないほどの食べ物を用意した時点で糾弾しなくては意味がありません。つまり、怒るタイミングを間違っていて、まるで虫歯が痛みはじめてから歯磨きを始める小学生のごとくなのであります。

「自粛」のメカニズムと、とるべき対策


こんにちは。
あれから卒業式やら入社式やらが自粛されていて、ちょっと窮屈なムードですよね。
桜祭りもとりやめ、8月に行うはずの東京湾大華火祭までも取りやめになる始末。東京湾大華火祭につきましては「花火」を「華火」と表記するセンスが、「ラーメン」を「らうめん」、「カレー」を「カリー」と表現するのにも似ているので、中止しても悲しくないかも……などと思わなくもないですが、そんな話を耳にしてしまうと、募金の方が意味があると頭ではわかっていながらも、自分も負けてはおれん、リッツパーティの具をスモークサーモンからシーチキンに切り替えたり、道端で可愛らしい猫を見かけても、耳の後ろなどの最強気持ちよいゾーンは避けて背中を撫でるにとどめておこう、などと決意してしまったりして、誰もが「やり過ぎ」と思っていながらどうにも止められないのは太平洋戦争なども同じです。これらは日本の伝統芸といえ、この伝統芸のせいで日本はいずれ沈むかもしれませんが、この伝統芸をやめてしまっては日本が日本でなくなってしまうかもしれないので、経済を維持するより国体を護持したい…愛されるよりも愛したいマジで!!!―などと、ある意味安堵を覚える日常風景ではありますが、自粛することで誰も幸せになっていない、というのは残念な話であります。首都圏の飲食店の売り上げもかなり減少しているとか。そういう話を聞くと、飲食業界以外の業界の人も飲食業界の売上減に配慮していろいろ自粛しなければならない、などと考えてしまい、さらに飲食店の売上が減ってしまって、さらに自粛し……という無限ループになってしまいそうです……。


今回は、自粛と規制がどのような仕組みで起きるのかを確認し、われわれが取るべき正しい方向について考えていきたいと思いますが、わたしも自粛問題について語ることを自粛気味であり、ところどころに関係ない話が入ってくる危険性がありますが、ただちに生命に害を及ぼすわけではないのでご安心くださいませ。

(1)「自粛」は、トラブル回避のための方便である

お花見の自粛を迫る動きがあります。自粛は主体性を持った個人の行動であるはずなので、「自粛してください」は「規制」に近いですね。「節電のため、花見をやめなさい」という話のようです。それが方便であることはご存じかと思いますが、念のため書き添えておきますと、節電が目的なら、まず「昼間にお花見をしましょう」とか「街灯が暗いので電池式の明かりを用意してください」とか「ひざかけなどを用意しましょう」などと言えばよいはずで、もし公園が民営化されていたらそういう対応を取ったでしょう。ではなぜ花見の自粛を迫っているかというと、面倒だからです。
花見の件数が増えたら公園課の人の査定がよくなって収入が増えてブーダンノワールなどが気軽に食べられるんだったら別ですが、花見というだけでも場所取りやらゴミなどのトラブルの種なのに、今回は「なんでこんな時期に花見をするんだ!」みたいな変態からの苦情を頂戴することになるわけですから、花見自体をやめてもらえれば一石二鳥であり、「そもそも花よりも葉を見た方が目にもよくないか?ただ葉は毛虫とかがついてるから油断ならんけど……」的な気持ちになってしまうのも無理はありません。
花見だけでなく、「なんでこんな時期に!」と怒る変態に対しての対応はどこでも大変に思えてしまうので、「面倒だから自粛ということで」という結論に落ちついてしまうのです。しかも自粛っていいことをしているように見えますからね。

(2)自粛ムードは臆病者のエクスキューズが支えている

しかし、春は変態が活発になるシーズンであり、これを書いているわたしもまた、テンションの調節が困難な季節と捉えているのですが、実際のところは想定されるほど変態からの苦情はこないものです。「ほんとかよ!」とお考えの方はtwitterで検索してみるとわかります。twitterで注目されていた話といえば、 乙武洋匡さんが「飲みに行きましょう」みたいな話をtwitterでしていて、それについて「不謹慎だ」と言った人がいた件がありました。言わずもがなですが、「この地震で被災した人がいるのに楽しいことをしているのは、被災した人への配慮に欠ける」という話のようですが、言った人は被災していない人でした。考えてみれば、当事者が自粛を迫っていることは少ないし、普通は経済活動が活発になってほしいと願うものだと思います。
では、「不謹慎」という言葉はどのような文脈で使われるのが多いかというと、地震と関係ない話をしたり、楽しい話をしたりするときの枕詞として、「こんな時期にこんなことを言うのは不謹慎だけど」という用法が圧倒的に多いのです。Googleのリアルタイム検索で「こんな時期に」で検索してみると一目瞭然です。
たしかに一つの保身としてつけたくなる言葉ですが、これをすることで、少数に過ぎない敵の姿がどんどん大きくなってしまい、「誰もが不謹慎って思っているのではないか」という気持ちが「ふえるワカメちゃん」のようにムクムクと作られることになるのです。

(3)「自粛」は「思いやり」が生むのではなくて「日常の恨みつらみ」が生む

声を出して「不謹慎だ」と企業や公共団体にテレフォンをリングしてしまう変態はごくわずかとはいえ、「1匹のGを見たら20匹のGがいると思え」的に考えると、その背後にはそれなりに規制大好き人間がいることも事実です。花見の自粛強制については「なんでやねん」と思った人も、パチンコはどうでしょう。
そもそも経済活動という点ではパチンコも勉強も同じはずで、「ろくに教科書を読まずひたすらノートにきれいにまとめるという作業をしただけで勉強した気になって満足している」などの学習効率のよろしくない方法で学習されますと、なかなか有名大学に合格することは難しく、トータルで見た場合の経済効果はパチンコが得意な人の収入以下になったりする危険性もなくはないのですが、それはともかく、普段からパチンコが嫌いな人が「こんなときにこんなことに電力を使いまくって!」と思って一層頭にくる、という構造で、普段から苦々しく思われている存在が、不幸な出来事をきっかけに叩かれるということなのです。
自粛云々の話は関係なく、パチンコは事実上は賭博なので、賭博のすべてを法律的にOKとしてしまうか、あるいは賭博はダメだからパチンコも法律で禁止、などとして整合性を持たせた方がスッキリするのでは、とは思います。というか、あれが賭博じゃないんだったら「ふえるワカメちゃん」はワカメじゃないってことになるんじゃぁないのかな……。

それはともかく、「こんなときに○○するなんて不謹慎」と思っている人は、「こんなとき」以外の○○もまったく許しておりません。ただ、平常時において、○○に対して目くじらを立てていると、スケールの小さい人間だと思われてしまうので、「あ〜○○を攻撃したいなぁ〜」と思いながらイボイボだらけのスルメの脚を噛んでいるのですが、そこにきてこの大地震。日本中が自粛ムードであることに乗じて、常日頃から大嫌いだったものについて攻撃するチャンスが巡ってきたというわけなのです。

―などと、自粛について考えているとドンヨリしてきて、「がんばりたくてもがんばれない……そもそも、テレビをつけたら電力会社が協賛しまくっているAC様が、芸能人を使ってお説教……まるで復興ハラスメントやん……」的な気持ちになるかもしれませんが、以上の考察からどのようにふるまうべきであるかをまとめておきますので、参考にするなり叩くなりしてくださいませ。

【ポイント1】保身のための枕詞を置かず好きにする
言い訳のつもりで言った「こんな時期ですが……」の一言が自分や他人をしばりますし、そもそもそんな臆病者はモテないので、何事もなかったかのようにふるまうべきです。


【ポイント2】規制されるまで好きにする
自粛はあくまでも自主的にするものですから、自粛の必要がないと判断された場合は、規制されるまで好きにふるまえばいいのです。自粛を迫る人は「明示的に規制することで器の小さい人間であることがバレたら恥ずかしさのあまり痩せちゃう!」と思っているので、実際のところは何も言われないものです。


【ポイント3】日常的に恨まれないように立ちふるまう
規制されるかどうかというのは、この時期でのふるまいというよりも、それまでのふるまいが明暗を分けるので、普段からあまり幸せそうにしたり楽しそうにしないよう心がけたいものです。

海外の新聞で、「日本は自粛という強迫観念にとらわれている(Nihon wa jishuku to iu kyouhaku kannnen ni torawrete iru. Yonda hito gomennasai...)」という報道がありました。しかしそれは一面的な見方でしかなくて、実際は、日常的に恨み辛みがたまっていて、それが噴出したり怯えたりするのがこういう地震などの国内的な危機のとき、ということだと思います。
なんだか原発に似ていてアレですが、そこらへんをおさえた上でスマートに生きて死にたいところですね……。

会話の途中にクイズを挟んでくる人って何なの?


こんにちは。今回は「会話中クイズ問題」という、深刻な社会問題についてお話しさせていただき、その有効な解決策について提案させていただきたいと思って意気込んでおります。


話のつまらない人間ほど話の途中でクイズを挟んできて、考えることを強いてきたりします。話がつまらないわ、クイズに答えなくてはならないわで、日常に潜む拷問といえますが、あれはなんなんでしょう?
「クイズくらいいいじゃん」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんので、どれだけ面倒かを実感していただくため、サンプルを作ってみました。

クイズ子:ちょっと聞いてよ、さっき法務部に問い合わせの電話をしたんだけどすごく腹が立って……
ノーマル子:何があったの?
クイズ子:いや、契約書を作ってててちょっとわからないことがあったから聞いたんだけど、一応ね、「ご担当の部門がわからなかったのですが、こちらでよろしかったでしょうか」って聞いてみたのよ。
ノーマル子:ふーん。それで?
クイズ子:それで、向こうは何て言ったと思う?当ててみてよ!
ノーマル子:うーん………「担当者から折り返し電話します」とかかな?
クイズ子:ブブー!そんないい感じなわけないじゃない!
ノーマル子:じゃあ、「確認します」かな……。
クイズ子:ちがうちがう。正解は、「わたしの担当ではないですね」。しかも誰が担当かも教えてくれないしさー
ノーマル子:そっか……。


日常的に遭遇するシーンではありますが、この話、全然面白くないですよね。クイズ子がすごい美人などだったら「我慢して聞いてたらいいことあるかも」などと思わなくもないですが、そういう場合以外はちょっとお話は遠慮したいところですよね。


しかし、なぜこのクイズ子はクイズ形式にしたのでしょうか。会話中にクイズを挟んでくるときの心理の分析とその法則について解説をさせていただきますね。



(1)「会話中クイズ」とは、つまらない話を聞かせるためのテクニックである
面白い話の場合は、もったいぶらずにそのまま話す方が好まれます。話す方も早く話したいし、聞く方も早く聞きたいと思うからです。
それに対して、言いたい話が面白くない話だったり、本当は面白い話なのに圧倒的に話術が欠けている場合で、かつどうしても聞いてほしい場合、「クイズ形式にすることで生返事を許さない」という作戦が採られます。
人をクイズに走らせる心理、それは学校で退屈な授業をちゃんと聞いてもらうために生徒を当てるのとまったく同じ原理であり、悲劇なのです。



(2)「会話中クイズ」とは、愚痴か自慢、ウンチクの披露のどれかである
会話中クイズは3つのパターンがあります。

A)愚痴
【例】たしかに、わたしも浮気したから偉そうなことは言えないけどね、ひどい言い草だったんだから……。携帯のメールを見せて詰め寄ったとき、彼はわたしにいったい何て言ったと思う?
→「わたしがどれだけひどい目にあったか、聞きながさずに主体的に考えて」という意味です。


B)自慢
【例】俺のことを見て、彼女は何歳に見えるって言ったと思う?
→「俺がどれだけ若く見えたか、聞きながさずに主体的に考えろ」という意味です。


C)ウンチクの披露
【例】働きバチって1日何時間くらい働いてると思う?
→「俺が得た驚くべき情報に、キミはついてこれるかな?」という意味です。

愚痴も自慢も、ウンチクの披露もまったく面白くない話題であるという意味で共通点があります。だからこそ、主体的に聞いてもらうために、クイズの体裁を取って相手から無理に反応を引き出そうとするのです。



(3)「会話中クイズ」とは、正解するとガッカリされるものである
会話中のクイズは厳密に言うとクイズではありません。なぜなら正解を出すことが許されないクイズだからです。たとえば、正解してみたらどうなるでしょうか。

クイズ子:それで、向こうは何て言ったと思う?当ててみてよ!
ノーマル子:「わたしの担当ではないですね」って言ったんじゃない?
クイズ子:あ……そ……そうだよ……よくわかったね……。

せっかく当てたというのに、反応がイマイチになるものですが、なぜかというと、クイズを出題した側は、答えとしてかえってくるものよりも正解の方が興味深いものであることであることにより、「意外〜」と言わしめてオーガズムに達するという特殊な性癖の持ち主なのです。

「会話中クイズ」をブロックする方法

以上により、話の途中にクイズを混ぜる人は、会話力が乏しいと同時に自己中心的な性格の持ち主であるということが判明したのですが、話にクイズを混ぜてくるくらいで絶交してしまうというのも少々大人げがないので、「この人には二度とクイズを出題しない」と思ってもらえる小粋な受け答えの3つのテクニックを伝授させていただきます。状況や気分に応じてレベルを調整してお使いください。



【レベル1】「わからない」の一点張り
会話中クイズの法則ですが、答えを知りたいというこちらの気持ちより、答えを言いたいという向こうの気持ちの方がはるかに大きいのです。こっちとしてはつまらないから話題が変わってもOKなくらいですからね。つまり、クイズを出題しても「うーん…わからないなぁ」ばかり言っていると、しびれをきらして正解を発表してくださいます。

クイズ子:このコート、意外に安かったのよ。いくらだと思う?
ノーマル子:わからないねー。
クイズ子:あてずっぽうでもいいから言ってみて!
ノーマル子:うーん…見当もつかないねー。
クイズ子:あぁぁぁあああ!もう!2万円よ!にまんえん!!!!
ノーマル子:フーン……。


【レベル2】想定以上の解答をして話を台無しに
クイズの出題者は、クイズの答えを受けて、「残念でした…正解は」→「え〜〜!」という展開を期待しています。これを「残念でした…正解は」→「なーんだ」という展開にすると、失意のどん底を味わうことになり、涙ながらに「二度とクイズなど出すまい」と決意してくださいます。

クイズ子:このコート、意外に安かったのよ。いくらだと思う?
ノーマル子:1円!
クイズ子:……。
     そんなに安いわけないじゃない…2万円。
ノーマル子:意外っていうから1円くらいかと思ったんだけど、普通の値段だよね……
クイズ子:……。


【レベル3】不当な景品の要求
レベル1・2を繰り返してもクイズをやめないクイズマニアには最後の手段を講じるしかありません。クイズについて、最悪の形で話の腰を折る方法が、不当な景品の要求です。

クイズ子:このコート、意外に安かったのよ。いくらだと思う?
ノーマル男:当てたらオッパイ触らせてくれる?
クイズ子:じゃあもう当てなくていいよ!

提示する景品をえげつないものにすればするほど、出題した側の意欲を削ぎますので、あなたのご立腹の度合いに応じて景品を提示してみてください。



うざったい会話中クイズに悩まされている善良なみなさまにおかれましては、以上を参考にして、クイズフリーな生活を送ってくださいませ。
ちなみに、ぼくが耳にした最悪のクイズは「わたしが何で怒っているのか、当ててみて」というクイズでした。有名な嫌われ者でしたけどね…

文学フリマで販売される同人誌に小説を寄稿しています


今週日曜(12月5日)の文学フリマで販売される同人誌「UMA−SHIKA」に寄稿させていただきました。3年くらい前に書いた100枚くらいの中編「キリストノミコト」という小説で、内容はこんな感じ。

時は明治。仏教を撲滅し、国家神道の浸透をダメ押しするため、明治新政府の切り札として投入された変態仏師・円艶。彼は円空が日本各地に遺した仏像をすべて神像に彫り直すことで土着の仏教を根絶やしにしようとしたが、そこに現れたのが、ペリー提督の息がかかったキリシタン特殊暗殺部隊。彼らは混乱に乗じてキリスト教を一気に広めようと、独自に編み出したキリシタン拳法で円艶を暗殺せんとし、血で血を洗う戦いが始まった―という感動巨編。


何を隠そう、わたしは敵がとっても多いため、残念ながら会場に行くことはできませんが、わたしのはともかく、わたし以外の方が書いているものはステキな感じで、本屋で売られている文芸誌とはまたちがったユニークな本になっています。目次はこちらにあります。

また、「奇刊クリルタイ」という雑誌でインタビューしていただきました。おもにネットの使い方についてのインタビューです。こちらも文学フリマで販売されます。


会場は蒲田なのですが、他にもいろんなブースがあるようなので行ってみてはいかがでしょうか。文学フリマの開催要項についてはこちらです。



―そうそう、もともと、このブログは小説を書くときの思考の断片を日々書き連ねていこうと思って7年前に始めたのですが、当時のわたしが今のわたしを見たらびっくりするだろうなと思います。

昔から、わたしの小説を読んだ人に「何が言いたいのかわからない」と言われることが多くて、「何が言いたいか要約できるんだったら小説にしてないよ!」などと思いながら、世間的には笑顔を絶やすわけにはいかないわけですから、意味のわかりそうな感じ、ということで、自己啓発書の体裁にして本を書いてみたりしているのですが、小説的なものをもっと書ければと思っています。


もちろん、「究極の自己啓発書」みたいなのも、あんまり他にないので好きだし、今書いている本もそういう感じなのですが、来年は、もうちょっと日常についていろいろ書く機会を持ちたいと思っています。前回の記事は、今後のココロ社のモデルとして書いてみたのですが、多くの方に読んでいただいたので、こんな感じで続けていこうと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

ポジティブな言葉をネガティブに言いかえると、むしろ幸せになれる

こんにちは。最近は珍妙な本を出してばかり、前衛的ビジネス書のリーディングカンパニー、ココロ社ですが、明日(6/25)にネガティブシンキングの本を出します。「マイナス思考法講座 プラス思考をやめれば人生はうまくいく」です。

プラス思考をやめれば人生はうまくいく マイナス思考法講座

プラス思考をやめれば人生はうまくいく マイナス思考法講座

タイトルもアレですが、これがストレンジな本であることは目次をご覧になるとよりよくわかると思います。

第1講:あなたはくだらない存在です
第2講:あなたは嫌われています
第3講:誰もあなたの話を聞いていません
第4講:あなたの話は面白くありません
第5講:あなたは恨まれ、攻撃されます
第6講:あなたは空気が読めません
第7講:人はわかりあうことができません
第8講:あなたは成長できません
第9講:弱音を吐くことは許されていません
第10講:人はみな悪人です
第11講:恋愛はすべて「脈なし」です
第12講:あなたは何をやっても失敗します
第13講:本当のあなたを知る人はいません
第14講:あなたの夢は叶いません

いちおう1日1講、2週間で生まれ変われるようにしたのですが、生まれ変わってどうするねん、って思いましたよね…
目次を見ただけで鬱になる…こんな自己啓発書が許されるのでしょうか。しかし鬱にならないと本当の意味で自己を啓発することにはなりません!この14講がドンヨリしながらも素晴らしい人生の指針となるはずです。

それぞれの講義は「絶望ワーク」と呼ばれるワークから始まって、「自分は大丈夫」と思っている人でも、現実がいかに厳しく絶望的であるかを体感し打ちのめされるというハートフルな仕掛けにしております。そのあと、具体的にどうやってマイナス思考を人生に適用していくかについてお話しております。


―と、お知らせだけだと感じ悪いかなーと思うので、今回の記事は、端的に、口にしがちなポジティブ言葉をネガティブに言いかえることで幸せになる方法について書かせていただきたいと思います。単純に言葉をネガティブに言いかえていくだけで、状況は少しマシになるのでお試しください。

(1)× 今日はよくがんばった! → ○ 仕事のやり方がまずいのかも…

自分で自分をねぎらいたくなる瞬間はあるものですが、よく考えてみれば、そもそも、1日がんばらないとやっていけないというのは、生きるスキルがないのかもしれず、それは喜ぶべきことではないのかもしれません。同じ成果があがるのであれば、がんばらない方がいいに決まっていますし、がんばったかどうかで人生の価値が決まるというのは、まさに苦痛を修行と読み替えて現世のいやなこといろいろについて、自分自身を我慢させるための方便にすぎません。自分をほめちぎってそのまま墓場まで自分を騙していける自信があるのなら話は別ですが、自己催眠能力に自信がない方は、そこでネガティブな観点、「1日がんばらなきゃいけない自分って何?」という自問自答をし、何らかの改善策を考えた方が長い目で見るとお得です。

(2)× 自分大好き! → ○ 自分なんて大嫌い!

自分に自信を持つことは大切ですが、「自分はステキ」と思いこむループに入ってしまうと、自分のすごいと思う点について思考を巡らすばかりで、気分はいいかもしれませんが、時間の無駄にすぎず、成長はしません。
企業活動について考えると正解はすぐ出るのに、こと人生となると正解が出ないものです。ふつう商品を作ってそれがそこそこ売れたにしても、まともな企業なら顧客の声を拾って、ヒットしていながらも至らない点はなかったか探ると思います。「売れたねぇ…えっへっへ」と思うだけの会社は、よっぽどですよね。
人生もそれと同じで、自分はダメだと思ってはじめて、ダメな点をどうすれば改善できるかについて考えることができるのです。

(3)× これはチャンスです!→○ こういう危険性があります

よく「成功をイメージすると実際に成功しやすくなる」と言いますが、成功をイメージしたから成功したのではなく、具体的に物事を考えたから成功しただけの話であって、成功だけをイメージして失敗をイメージしないのであれば、成功するわけもないのです。「不況こそチャンスだ」などと言う人がいますが、本当にチャンスだったら、みんなが不況を待ちわびるはずで、そんな簡単なことをもわからないようでは、成功はおぼつかないのであります。当然ですが、失敗のイメージを具体化してリスクを避けてこそ、成功する確率が上がるのです。



以上、一言でまとめると「反省する人は成長し成功する」という話にすぎません。「そんなの当たり前やん…」と思った方も多いかと思いますが、なぜその当たり前の思考をする人が少ないのかというと、ポジティブな言葉の多くは、自分が何もしないことを許容する、口あたりのよい言葉だからです。そりゃあ、「そのままでいいよ」と言われたら、それが少々うさんくさい人物であったとしても、聞きいれたくなってしまいますよね……。
なお、念のため言っておきますが「どうせ自分なんて…」と、諦めの言葉を口にするだけで何もしないのは、マイナス思考のように見えるかもしれませんが、むしろプラス思考の極北です。なぜなら「自分なんて…」と諦めたふりをしたらなんとかなると思っている楽観主義に他ならないからです。


どこをどうやって反省して生きていくのかについては、本屋さんで手に取って読んでいただければありがたいです。買ってなどと図々しいことは言いませんが、多くの人に読んでいただければ、ドンヨリしながら書いた甲斐もあろうというものです!

メールは件名が命であり、よい件名には3つの条件がある!

こんにちは。4月23日に新しい本が出ます。

クビにならないビジネスメール 〈特選〉世渡り上手フレーズ100

クビにならないビジネスメール 〈特選〉世渡り上手フレーズ100

どういう本かというと「口下手でもメール技術を身につけて世渡り上手になればいいじゃない」という主旨の本で、今回はすぐ使える世渡り文例を100、そしていつもの調子での解説という組み合わせです。「ココロ社の味を保ちつつ、お役立ち情報に徹するとどうなるか?」というのを考えて作ってみました。あと、購入者には『気になる彼/彼女を気まずくならずにデートに誘うメール術』がもらえるヨ!

ただ、言いたいことが多すぎて256ページだと足りなかった&せっかくこのブログを訪問していただいたのに宣伝だけやったら感じが悪いかも、と思ったので、本で言い足りなかったところをお話させていただきたいと思います。まず何をおいても件名のところですね…

読んでくれない前提でメールを書くことが大事です

メールを全部読んでくれる人はあんまりいません。読んでいないことを非難できたり、読まなかった責任を問える相手ならいいですが、そうでない場合は、こちらが努力をして、読み飛ばされないようにしなくてはなりません。学校だったら読まなかった側が怒られますが、会社では読まれないだけでなく、むしろ「書き方が悪い。読む気がしないじゃないか」と怒られる…うーん…いったい、人生は生きるに値するのでしょうか?
―などと、根本的な疑問が頭をもたげてきそうですが、話を戻します。
読んでもらえるかどうかの分かれ道がメールの題名。どんなにメールの中身が巧みに書かれていたとしても、件名が的を得ていなかったら、場合によってはクリックしてくれない危険性もあるのです。(それはブログやmixiのタイトルも同じですよね。タイトルが『えーっと…』になっている日記を誰が読むのかと……)

(1)件名で「読んだ人が何をすればよいかがわかる」ようにする

たとえば、「車内広告のデザイン案が何種類かあがってきたので、今週中にどれを採用すべきか判断してほしい」と思い、メールしたとします。内容は、5分もあれば返せるものだったとします。そこで

車内広告について

というタイトルにしたらどうでしょうか。メールを全部見てくださる方なら、適切な内容が記してあれば何も問題ありませんが、もし、忙しい人だったら、「よくわからないから後で見ようっと」と思って忘却の彼方かもしれません。そしてメールを見ずに家に帰ってシュークリームを焼くかもしれません。しかも皮の超硬いシュークリームね…。
忙しい人なら1日の受け取るメールの件数は数十件を超えることなどザラですから。さきほどの件名では返事がもらえなかったとして、悔い改めてみると、

【今週中にご確認お願いします】車内広告のデザイン案

これなら、デザイン案を見て、適切かどうかを確認すべきであることがわかりますよね。してほしい行動を【 】でくくっておくとわかりやすいです。そこまでやりたくない場合でも、「社内広告についてご意見をお願いします」でもよいかと思います。

当然ですが、自分だけ「急いでくれ」とお願いするのは大変図々しいことなので、ゆめゆめ

【至急ご確認お願いします】歓迎会に飲み放題プランをつけることの是非について

などと、自分から「至急」などと言うなかれ…至急かどうかは、締め切りの日時を見て相手が決めればいいのです…ちなみに確認しなくても飲み放題でいいんじゃないかと思います。

(2)「読みたい」と思える件名にする

たとえば、相手が受け入れがたいと思ってしまうようなことをメールのタイトルにしてしまった場合、相手はそれを読んでくれないかもしれません。たとえば、「相見積もりを取った結果、発注できなかったが、次回の入札の日程はお知らせしておきたい」と思った場合、

今回の発注は見送らせてください

だけだと、件名だけでおなかいっぱいになってしまい、メールの中をよく確認してもらえない恐れがあります。次回の入札は体育座りで参加かもしれませんね…これなら、

今期の入札の結果と、今後の予定について

と件名には書いておくと、読んでもらいやすいです。


また、いいお知らせの場合は、件名を見ただけでいい知らせであるとわかるようにすると、すぐ開けてもらえます。いい知らせは早く知りたいと思うのが人間ですからね。たとえば、

検討の結果、OKでした

などと書いてあれば、すぐにでも中を見てみたくなるはずです。

(3)全貌がわかる件名にする

また、長文のメールになった場合、最初から最後まで読んでくださる率が下り、舌打ちをされる率が上がって―入れ歯がうまくはまってなくて舌打ちみたいに聞こえちゃう人は話が別―しまいますが、それを防止するため、件名で全貌がわかるようにしておくと安心です。

〜についてご質問○件です

などとしておき、質問ごとに見出しを設けておくと、読み逃しがなくなります。



以上の3つを守って書けば、本文が少々荒くても希望通りの返事を頂戴できます。逆に件名で失敗すると、返事が来なかったり、期待していた返事をもらえなかったりするのでご注意くださいませ!

野性時代』『Quick Japan』にも書かせていただいております!

野性時代 第78号  KADOKAWA文芸MOOK  62331-80 (KADOKAWA文芸MOOK 80)

野性時代 第78号 KADOKAWA文芸MOOK 62331-80 (KADOKAWA文芸MOOK 80)

4月12日の『野性時代』にエッセイが載ってます!
わーい!こういうのを書きたかったの!Quick Japanにも載ってまっせ!
最近、毎回載せていただいているのですが、今回はブックレビューです。

また、商用サイトの枠を大きくはみ出た面白さでお馴染みの技術評論社第3・4編集部さんのtwitterで、『超★ライフハック箴言』を週1回、書かせていただいております。

で、原稿やら何やらが一段落したので、こちらのブログも通常運営していきたいと思います。もう2年ばかし写真がたまってるし…

正直言って…海苔っていらない気がするんだけど…

こんにちは。
お忙しいところ大変申し訳ありませんが、まず、この蕎麦の写真を見てください。

素晴らしい蕎麦ですよね。余計なものがない状態の蕎麦ほど美しいものはこの世にないんじゃないでしょうか?「あー日本人に生まれてよかった!」と思う瞬間ですね。いや、思いません。たしかにわたしはみすぼらしいオッサンかもしれませんが、感激したときに国家などという間接的な概念を持ち出すほど落ちぶれてはおりませぬぞ!


―それはともかく、本題に入りたいと思います。この蕎麦、おいしかったのですが、とくに海苔がのってないところに好感を持ちました。けっこうな老舗に行っても、海苔をのっけている蕎麦が出てくることが多く、わたしは、ブラックジャックのように、海苔を丹念に蕎麦から剥がして飲みこむのです。のどにべったりと張り付いて、おいしさとまずさの中間的な味を発生させる紙状のサムシング……しかし、蕎麦といっしょに口にして、蕎麦の味を台無しにするわけにはいきますまい。

海苔=毛の代わり説

しかし、蕎麦の味を台無しにしてまで、なぜ蕎麦の上に海苔が乗っかっているかというと、それは蕎麦が毛の代わりに使われているからに他なりません。

ここで、毛についてご存じない方のために解説をさせていただきます。

毛とは…
「毛」とは、その字のサワァァァ〜としたデザインからも端的に知り得るように、細い糸状の物体で、おもに動物の大事なところを保護する役目を負っている、見た目は若干ダサいものの、非常に役立つ存在なのである!
(『知られざる毛の秘密』より)

つまり、蕎麦が好きでしょうがない人が、蕎麦をお願いして、そのまま蕎麦だけが出てきたら問題だろう、「蕎麦を頼んだら蕎麦が出てきた」などという異常事態!…ということなのです。蕎麦が丸見えになっていては興ざめですよね。そこで、大事な大事な蕎麦を隠し、かつ、チラ見えするように、海苔がかぶせてあるというのが、蕎麦の上に海苔が載っている理由なのです。
蕎麦のすべてが見えないので、なんだかとてももどかしいが、海苔の奥でチラチラ見える蕎麦に誘惑されることで、また蕎麦が食べたくなりますよね。

しかし、考えてみてください。海苔という名の毛に覆われ隠されているから、ダリの絵に出てくるくらいに伸びきった蕎麦でも、なんだか魅力的に見えてしまいまうというビジネスモデルにお気づきですか。みなさんもご経験かと思うのですが、つまらないものほどもったいぶるものです。いわゆる新製品のティーザー広告はそうですよね。「○月×日、△△が変わる」みたいな思わせぶりなのをテレビやらインターネットで見て、実際、○月×日になって、△△の概念が変わって、今まで△△のことを「なーんだ、△△かよ」みたいに思っていたのが、○月×日の前日、つまり、○月(×−1)日には、△△にしか感じられなかったものが、翌日には◎◎に感じられて、今まで見てきた△△は、子供だましなんじゃないかと思えるほど…などという経験をお持ちですか?ぼくはそんな経験がないです。△△がより悪化して、∴∴くらい貧相になって、「もうそれだったら、今まで通り△△のままでいてヨ!」とボヤいたことはありますけど。
話が長くなってしまったのですが、つまり、海苔をまとっている蕎麦は大したことないし、その海苔のイケてなーい風味を加えることにまずさが加速さえしていると言えるのです。これが海苔がいらないと思う理由の1つです。

軍艦巻から軍靴の足音が聞こえてくる!

また、「海苔なんていらないんじゃないか」というと、ほとんど全員が、「じゃあ軍艦巻はどうするんだい?」などと口を尖らせておっしゃいますが、軍艦巻なんて、まずその由来が怪しい。軍艦巻は、軍艦ができてからのものだから、あんなもの、江戸前の寿司の歴史にはありません。あるいは、江戸前寿司の歴史自体がねつ造で、せいぜい日清戦争以降のものであり、その動かぬ証拠が「軍艦巻」という名称だった…まったく寿司は運が悪くていらっしゃる。わたしのような名探偵がこの問題にたまたま目をつけたばっかりに、寿司の歴史の浅さが明るみに出たわけですからね。証拠はそれだけではありません。たまに「江戸時代のファーストフード、SUSHI」的なコピーがありますが、それがもし本当だったら、江戸のファーストフードに比べて平成のそれがあまりにも貧しくて、何のための明治維新か、何のための脳内革命かと言いたくなってしまいますよ……。
話が長くなってしまって申し訳ありません。まあ、謝るのが好きで、謝りたいがために話をあえて長くしているところもあるのですが、軍艦巻は軍国主義を思わせるのでやめた方がいいと思うのです。実際に軍艦に乗った人が軍艦巻を口にしたりしているという、むごたらしい現実を考えると、すっぱい米の塊に海苔を巻いて、それを軍艦だなどというなんてデリカシーのかけらもないのです。

いろどりの犠牲者…それが海苔!

ここまで、海苔のことをケチョンケチョンに言ってきたため、海苔愛好家はもちろんのこと、海苔に似ている食べ物、ワカメやヒジキの愛好家のみなさまにも窮屈な思いをさせてしまったことを謹んでおわび申し上げます。
突然、海苔の肩を持つようで申し訳ないのですが、というか、わたしは、誰の肩でも持つので味方が少ないと思ったらお声掛けいただければと思うのですが、それはともかく、海苔もまた被害者なのです。なんか黄色ばっかりで見た目にアクセントがないからとか、そういう理由で海苔が動員されているのです。黄色ばかりの食べ物なんて見る気もしませんよね。やはり、黒が一点でもないと、食欲がわくはずもないのです―と、ここまで書いていて思ったのは、どう弁護しても、海苔が被害者であるという反論の仕方は妥当性に欠けるという厳然たる事実。よく、裁判やら何やらで、加害者を弁護するとき、「加害者ではありません」というだけでは飽きたらず、「むしろ被害者である」的な言い方をしていて、それを真似てみたのですが、なるほど、そのようなシーンで「ああー本当だ。加害者って思って(精神的な意味での)石を投げてしまってゴメン」みたいな展開を見たことがなくて、むしろ、「盗人猛々しいわ」という感想を抱くことが多かったように思います。つまりそういうことで、わたしにはもう海苔を弁護することができなくなってしまいました。


ということで、海苔について、さまざまな角度から客観的な資料とともに検証を重ねてきましたが、海苔は必要ないということがおわかりいただけたかと思います。もし明日、お弁当を作ったり蕎麦をゆでたりするときは、自分の気持ちに正直になって、思い切って海苔を使わないで、紙か何かで代用するようにしてみてはいかがでしょうか。