ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

5000曲以上から選んだ、2015年に最高だと思った曲10選

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ココロ社です。2016年になったので、2015年によく聴いた曲10選について書こうと思います。

2015年は2016年になってから振り返りたい

こういうのはなぜか2015年中に載せるならわしになっているけれど、読むたび、12月はどうしたの?という気持ちになる。1ヶ月分飛ばしたら記事の価値が8.45%くらい損なわれると思うのだけれど……。12月をないがしろにしてまで2015年中に伝えようとしなくてもいいのかなと思って、年が明けてから書き始めた。

2015年のリリースに限定しても、「2015年的である」とはいえない

また、2015年以前にリリースされた音楽が、2015年にリリースされた音楽より2015年的なこともあるので、「2015年にリリースされた」という縛りは、2015年を振り返るにあたっても意味がなくなってきている―たとえば79年リリースの、Harry Thumann"UnderWater"
を聴いても、再発見されて一部のクラブでかかりまくっていた2005年あたりを想起する人の方が多いだろう―こともあり、「2015年によく聴いた曲」を選ぼうと思う。

Underwater Original Version 1979

Underwater Original Version 1979

  • Harry Thumann
  • ダンス
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes

アルバム単位で選ぶこと自体が反2015年なのかもしれない

言うまでもないが、アルバム単位で振り返るのも無意味―ダンスミュージックでは30年以上はそうだけれど―なので、「曲」で語ることにした。アルバム単位で2015年を語ることもまた、2015年から遠ざかることになるだろう。もしかすると、音楽が音楽でなくなり、ライブやDJミックスの付属物となってしまうなら、アルバム単位か、ライブ単位で語る日もくるのかもしれない。


~~~~~~~~~

前置きが長くなってしまった。
今年も試聴したのも含めて5000曲以上は耳にしていると思うけれど、本当にこの10曲は大好きなので最高しか言わないと思う。
いちおう試聴できるようにしておいたけど、30秒だとどうもわからんね……。


Fox"The Juggler"(GTO)
2013年から、 PsychemagikのMagikなんとかシリーズがリリースされはじめ、いわゆる普通のダンス・クラシックスなどはまったく含まれておらず戸惑いつつも新しい扉が開かれることがうれしくもある。まだまだ聴きすすめてはいないのだけれど、いつのまにか、この曲ばかり聞いていた。しゃれたアシッド・フォークで、ボーカルを聴いて、てっきりピッチをあげてかけているのかと思ったら、Foxはいつもこの歌い方。ひととおりアルバムを買い揃えてみて、ふつうのポップスで、たまたまこの曲だけがdopeだったものの、どのアルバムもポップスとして大変重宝している。
しかし、DJのセットリストで気に入った曲があるからといっていちいち掘り下げていては身がもたないので、必要最小限にとどめておこうとも誓ったのだった。

The Juggler

The Juggler

  • Fox & Fox
  • ポップ
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes


Tzusing"4 Floors of Whores"(Long Island Electrical Systems)
創立5年、昨年も順調にリリースを重ねた長島電気設備。シカゴの初期アンダーグラウンドハウスを再現したり拡大解釈したり、あるいは考えすぎてインダストリアル状になってしまったりなど、どれを聞いても面白い。他にも好きなものはあるのだけど、特筆すべきだったのはこれ。
Liaisons Dangereusesを思わせるファシズム臭いシンセに、ボディ・ミュージック崩れのようなモッサリしたドラムだけでも十分満足なのだが、その上にパワーエレクトロニクスのような、ペシャンコにされて何を言ってるんだかさっぱりわからないボイスサンプルが乗っかっていて稀有な一曲だと思う。パワーエレクトロニクス的なものをダンスミュージックに乗せるのは意外に難しく、数少ない成功事例として大変貴重なので、聴き飽きないようちびちび聴きたい。

4 Floors of Whores

4 Floors of Whores

  • Tzusing
  • テクノ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes


George Theodorakis"The Rules Of The Game"(Into The Light Records)
前衛コーナーに置いてあり、わりと前衛は間に合ってるんだけどまあ買っておくか、と思って聞いたら大変ユニークなコズミック・ポップで慌てて襟を正して聴きいった。冒頭のシンセのフレーズが否応なくギリシャを想起させてオリエンタリズムが大爆発、頼りない歌が始まるころには完全に出来上がっているという寸法。
これが収録されているアルバム"The Rules Of The Game: Original Studio Recordings (1978-1996)"はベスト盤で、Vangelisなどと比べてもダンスフロアを意識していて、前衛コーナーに隠れていないで、もっと知られていいように思う。

The Rules of the Game

The Rules of the Game

  • George Theodorakis
  • アンビエント
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes


Steve Winwood "Higher Love"(Island Records)
86年の都会派ソウル傑作。全米チャートでもトップになったので、聞いたことのある人も多いと思う。
スターバックスかどこか、アメリカ感のするコーヒーチェーン店で、そろそろ席を立とうと思ったときにこの曲が流れて、久しぶりに聞いたけどこれは聞きたいときに聞ける状態にしておくべきでは、という気持ちになり、家に帰って大昔に買ったレコードを引っ張り出して録音してウォークマンにおさめ、それ以来、狂ったように聞いている。マジョリティーの人って喫茶店などで自分の好きな曲がこんな風に毎日毎日かかってるんだなと思うと羨ましい。

Higher Love

Higher Love

  • スティーブ・ウィンウッド
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes


Kathy McCord "Rainbow Ride"(CTI)
アシッド・フォークを聞こうと思ったのだけれど、 吐痙唾舐汰伽藍沙箱の『あんまり深すぎて』しか知らず、勝手もわからないので、「アシッドフォーク 女性」という非常にザックリした検索をしたらすばらしい音楽を見つけた。
フォーク好きにとっては言わずとしれたマスタピースらしく、まったくフォークに詳しくない自分でも、始まって5秒もしないうちに大作だとわかるほどの大作感がある。70年リリースで、邦題は『虹の架け橋』。後半が全然関係ない感じで演奏が持て余して思わず四次元に旅立って突然正気に戻るところも含めて傑作だと思う。もしご存じない方がいらしたら必聴。

Rainbow Ride

Rainbow Ride

  • Kathy McCord
  • ポップ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes


Jose Padilla "Day One"(International Feel)
イビサの重鎮が、バレアリックが再興してからは無言だったのに、突然アルバム"So Many Colors"をリリース。これは先行シングル。個人的には90年代はイビサのことなんてどうでもよかたんだけどね……。
冒頭からつっこんでくるFM音源臭いファットなベースが古のNu Grooveを想起させる。バレアリックのプロトタイプだったLB Badの"New Age Of Faith"がNu Grooveから出ていたことを思い出して納得してしまった。生まれたてのバレアリックを堪能した。なお、アルバムも、コンセプトアルバムというより、一曲一曲ダンスミュージックとしての機能性を重視しているので、買ってもいいかもしれない。

Day One

Day One

  • ホセ・パディーヤ
  • ダンス
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes


Ge-Ology Featuring Mark De Clive-Lowe "Moon Circuitry"(Sound Siganeture Sounds)
00年代は、Sound Siganeture Soundsの新譜が出て、ピンと来なかった場合、「ぼくのセンスに問題があったのではないか」と自問させてしまうほどの勢いがあったのだけれど、今は気づくこともなくなってしまった。しかしたまたまBeatPortで見つけたこれは、久しぶりに耳にするデトロイト・テクノ保守本流系で、見つけてよかったと思った。いかにもデトロイト的な金属的なトラックの上にフリーなシンセリードが乗っかっていて大好物だった。
わりかし寡作な人で、クリエイター生命を縮めてしまいそうな完成度だけれど、次も早く聴きたい。

Moon Circuitry

Moon Circuitry

  • Ge-Ology
  • エレクトロニック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes



The Orb "God's Mirrorball"(Kompakt)
近年、90年代から活動しているビッグネームのアルバムもちょこちょこ出ているものの、また聴きたいと思えるのが少なくて大変残念だった。そのなかで、念のために買ったThe Orbの6年ぶりの新譜は最も輝いていた時期よりも輝きを増していて驚いた。
高音質のSEやパーカッションが飛び交ってさんざん焦らされ、満を持して太いベースとゆったりした重いドラムが始まる。昔のThe Orbは焦らされているうちに聴く気が失せてしまうこともあったが、今回はすべての瞬間が傾聴に値する。メカニックという感じでもなく、宇宙人にとっての民族音楽はこんなのだろうなと思わせる。聞き終えるたびに「もう終わりなん……」と思って連続再生してしまう。
iTunesの試聴の30秒を聞いた限りではまったく聞きたくならないかもしれないけれど、この後の14分間は最高。

かつて40分に及ぼうかというシングル"Blue Room"を全英ヒットチャートに叩きこんだ(買い支えた90年代のイギリス人、先進的でやばすぎる……)ときの輝きを今なお持っていると思うのだけれど、全英が正気にかえってしまったらしく、そこまで売れていないようでとても残念。

God's Mirrorball

God's Mirrorball

  • The Orb
  • エレクトロニック
  • provided courtesy of iTunes


Insanlar "Kime Ne" (Ricardo Villalobos Mix 1)( Honest Jon's Records )
Ricardo Villalobosは昨年、ハードハウス初期の傑作"What is house Muzik"をリミックスするなどの活躍もしていて、それも好きなのだけど、こちらは露骨な呪術感がたまらない。抽象的な音楽だからお咎めなしだが、ポリティカル的にコレクトなのかどうなのかとさえ思ってしまう。
この催眠効果は80年代末に、Psychick Warriors ov Gaiaという、サイキックユース寺院の下部組織的なユニットが先駆けている。その後、PWOGという略称でやばい出自を抹消して渋めのNYハウスに転身していたが、彼らが同じ路線を続けていても果たしてここまで来られたか謎である……。
これはiTunesなし。Discogで2000円代で買える。


Private Agenda"Deja Vu"(International Feel)
International Feelは新譜を聴いてないと時代に乗り遅れてしまうような気がするのでまず聞くことにしているが、もう最先端が何だかわからなくなってしまう1曲だった。
ここまで律儀にイタロディスコを再現しているものも珍しい。誰かに脅迫でもされてるんかいな。イントロが噴いてしまうくらいダサくて、露悪的だとも思うが、あの時代特有のエモーションを表現していてはからずも夢中で聞き入ってしまう……。

Deja Vu

Deja Vu

  • Private Agenda
  • ダンス
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes


去年の後半あたりから新譜の多くをダウンロード購入に切り替えたのだけど、趣味が変わったりするのか自分の変化が楽しみである。


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その昔、『一杯のかけそば』というマッドな童話があった

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ココロ社です。
今回は、元号が昭和から平成に変わったころの話。
あのとき、『一杯のかけそば』という童話が空前のブームになっていた。
話のあらすじはこうだ。

ある年の大晦日、子供二人連れの母親がそば屋を訪れ、お金がないがどうしても食べたいと、一杯だけかけそばを注文し、三人で分けあって食べた。
その年からしばらく、大晦日には三人で来て、一杯のかけそばを注文して食べていたが、ある年からぱったりと来なくなった。そば屋は、三人がまたいつか来てくれると思って何年も待っていた。
来なくなってから10年以上経ったある年の大晦日に、あのときの三人がやってきた。子どもたちは立派に成長していた。聞くと、それぞれ銀行員と医者になり、この蕎麦屋でかけそばを食べるためにわざわざ集まったという。三人は三杯のかけそばを頼んでおいしく食べたのだった。


若い人には信じられないかもしれないが、平成になりたてのころには、この作り話が「本当にあった泣ける話」として日本全国に感動を呼んでいたのである。もしかしたらそば粉に脳波を乱す成分が含まれているのかもしれないが、当時10代だったわたしは「国民がこんなしょうもない話に熱狂するような知的水準で、このあと国家を維持できるのだろうか」と本気で心配していた。
あれから27年経ったいま、自衛隊が多少ワイルドになったり、二度ほど巨大地震を経験して原子力発電所から放射能が少々漏れたりしたとはいえ、いまも日本国は少なくとも国家としての形態をとどめている。「世も末」と思っていても、本当の「末」はそうそうやってこないもののようだ。


とはいえ、日本については、少しずつ「末」に近づいていることも間違いない。
いま、『一杯のかけそば』を読めば、あらゆる角度からの非難が予想できる。

・そんな特別な話だろうか。うちもかけそばではないが、食べたいものを思いきり食べられるのは年1回くらいだ。
・ここまでではないにせよ、うちも決して生活は楽ではないので、「いい話」として消費されているのを見ると、なんだか馬鹿にされているように感じる。
・外でかけそばを頼むより、家で作って食べたほうが豪華になるはず。やはり収入の低い人は生活スキル全体に問題があるんだな……。
・最後の銀行員になったり医者になることがハッピーエンドのような扱いを受けていることに違和感。結局金持ちが偉いということなのか。貧乏でも、一杯のかけそばを仲良く分け合えられれば幸せだと思う。
・店の名前「北海亭」をGoogleで検索しても出てこない。名前を変えていたとしても、この店を知っているという人が何人かいてもいいはず。作り話なのでは?
・かけそばを食べるのがあざとい。一杯の牛丼にすれば同じような値段で味噌汁もついてくるのに、あえて具なしのかけそばを食べるなんて、貧しさを強調しているようで不快。

……など。


あのころと比べて、生活保護の受給者はおよそ倍になっている。身の振り方によっては、一杯のかけそばを三人で分けあうというシチュエーションが必ずしも異次元の話であるともいえなくなってきた。この話では、貧乏生活から脱して、銀行員や医者になったというのだから、平均年収の3倍は貰えて定年までずっと働けるはずだが、現実では多くの企業では終身雇用のムードはなくなってきている。

当時、『一杯のかけそば』などに感動している人は単純に頭が悪いと思っていたのだが、あの話に感動できるということは、前提として、あの話が他人事だと思える程度にはみんな豊かだったし、豊かでなくとも、このあと豊かになるはずだという確信をもっていた……ということだったのだなとしんみり思う。

現在は、いまは大丈夫だとしてもこのあと何が起こるのか予想がつかないし、いつか、大晦日に一杯のかけそばを分けあって食べることがあるかもしれないと思ってしまい、そばを等分に分ける方法について想いを巡らすばかりなのである。



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事実上のストロベリー・スイッチブレイドのセカンドアルバムが今になってリリースされておりました……の巻

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ストロベリー・スイッチブレイドの最初にして最後のアルバムが出たのは1985年のことで、あれから30年も経つ。
イギリスや日本のヒット・チャートを席巻した"Since Yesterday"(邦題は『ふたりのイエスタディ』)に代表されるように、ネオ・アコースティックのメロディに、まったく不似合いなノイジーな電子ドラムの音が混ざっているところが画期的だった。これはプロデューサーのDavid Motionのオーバープロデュースによるもの。本人たちにとってはこのアレンジは本意ではなかったようで、そのことは、最初にストロベリー・スイッチブレイド としてリリースした"Since Yesterday" と、Current 93のライブで演奏していた"Since Yesterday"を聴き比べてみたらすぐわかる。

Since Yesterday

Since Yesterday

  • ストロベリー・スウィッチブレイド
  • ポップ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes
Since Yesterday

Since Yesterday

  • Current 93
  • オルタナティブ
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes

どんだけ我慢してたのかと。
王道のネオ・アコースティックがやりたかったのかと思うけれども、このままリリースしていたら、ストロベリー・スイッチブレイド の名前をいま知っている人はほとんどいなかったかもしれない。(そう言いつつも、何回も聴いていて、これはこれで好きだけれども……)

恥ずかしながら、ぼくはこのアルバムを30年間にわたって、少なくとも週に1回は聴いている。
あまりにも後ろ向きなので、20年くらい前から聞くのをやめたいと思っているのだけれど、やめられなくて困っている。

ぼくにとってストリベリースイッチブレイドは悩ましい存在なのだが、去年、ふと検索してみて、片割れであるRose Mcdowallが、2004年にひっそりと" Cut With the Cake Knife”というアルバムを出していたことに気づいた。
録音は86年~88年。彼女がのちにSorrowやSpellといったユニットからリリースしていたものと違い、ストロベリー・スイッチブレイドの最初のアルバムが出た直後から録りためていたもののようだった。

しかし、サイン入りかつ500枚限定ということもあって、つい先日までは2万円という結構なお値段がついていたのだった。
いや待てよ、このアルバムを2000回聞くとしたら、1回あたりわずか10円であり、それを考えるとまったく高くないと言えるのではないだろうか、ただ、このあと、このアルバムを2000回聞くような人生を送りたいかというと何とも言えない……などと逡巡しながら、ときどきDiscogsのページを見ていたのだけれど、あるとき価格が値下がりしていたのである。
おかしいと思って念のためAmazonを検索してみると、なんと再発されていたのだった。ただちに購入し、Amazonの配送状況を何度も何度も見に行ってしまった。

実際に聞いてみると、あのころのストロベリー・スイッチブレイドの音が真空パックされていたようで、こんな素晴らしいものがお蔵入りになっていたのかと驚くばかりである。


Tibet

Tibet

  • Rose McDowall
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
Cut With the Cake Knife

Cut With the Cake Knife

  • Rose McDowall
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes


産業的なアレンジに可愛らしい歌声。そして、ジャケットのデザインと音楽がますます乖離しており、持て余している感がすばらしい。目のところが黒くなっているけど何を考えているんだ……。
本人は、ライナーノーツのインタビューで、もっとギターを使って作りたかったという意味のことを述べていらしたのだけれども、むしろこれでいいのだと思う。録り貯めていた曲の一部は、ストロベリー・スイッチブレイドのセカンドアルバムに収録されるはずだったのだが、方向性プロブレムでユニットは解散してしまったし、そのあともリリースする気になれなかったとのこと。親友が電車に飛びこんで自殺etc.いろいろあったようなのだけれど、聴くことができてよかった。
長生きしてみるものだと思ったのだが、ただ、このアルバムを2000回聞くような生き方もそれはそれで問題だとも思っているし、ご本人も2000回聴いたファンがいると知ったら笑顔がひきつるだろう。

Cut With the Cake Knife

Cut With the Cake Knife



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秋芳洞&秋吉台が、今もなお国内屈指の奇景であることを、多めの写真と面倒なエッセイでお知らせしたい

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ココロ社です。
今回はちょっと前に行ってきた秋芳洞featuring秋吉台(本当は逆だろうけれど)の話です。

平均的な人間が一生のうちに見る鍾乳洞の数は1.2パイくらいだと思うのだけれど、すでに奥多摩や石垣島の鍾乳洞を見、岩屋観音窟のような小粒なアイテムを寄せ集めて1パイとすると、合計3パイほど見たことになり、わたしは普通の人の倍以上の鍾乳洞経験を経ていることになる。鍾乳洞経験中級者としての高度な自覚をもって筆をすすめていきたいと思う。

なお、ここで仮に鍾乳洞の単位を「パイ」としてみたけれど、語感が気に入っているのでそう呼ぶことにしている。
少し前の話になるが、「たとえ何パイ見たところで、日本を代表する鍾乳洞であらせられますところの秋芳洞を見なかったら鍾乳洞を見たことにはならないのでは?」という、希死念慮にも似た妄想にとりつかれてしまったため、新山口まで足を運んだのだった。

地味な土産物屋に挟まれ呼びこまれるという通過儀礼

駅からバスに揺られて40分ほどすると秋吉台に到着する。

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洞窟の入り口まで地味な土産物屋が続くのだが、眺めながら歩いていると、わたしだけ、「兄ちゃん、化石もいろいろあるよ」と声をかけられた。心外ではなかった。「一人で秋吉台に来るオッサン=化石好き」という読みはそれなりの妥当性があるような気もするし、少なくとも「血液型がO型=おおらか」よりは妥当だと思う。
昔、血液型B型でしょと言われてO型だと言ったら「ごめん」と言われたことがあるが、B型の人はこの事実に怒っていいと思う。


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そして、石になんでも書いてくれる店があったのだが、美しい字でどうでもいいことが書いてあると、かえって内容の空疎さが際立つことを発見した。このことは、相田みつを先生のビジネスモデルがいかに秀逸であるかという話と関係するのだけれど、その話はまた回を改めることにする。(先日、研究のために相田みつを先生の本を買ってみたのだ)

川だけで満足してしまう哀れな都会人

洞窟からは大量の湧き水が流れ出ている。
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仮にわたしが超ド級のうっかり者だったら、このエメラルドグリーンの川を日がな一日見て過ごし、そのまま帰って「秋芳洞よかったわ~エメラルドグリーンで宝石みたい~まあ宝石は個体で水は液体だからだいぶ違うけれども色的に……」などとツイートしてしまうところだった。

広さだけで満足してしまう哀れな都会人

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秋芳洞の中は、一般的な洞窟のイメージ、正確に言うと、テレビの探検隊などで見るイメージとは異なり、開放感すら感じられるほど広い。岩肌が見えるだけなのだけれど、秋芳洞はここで終わりと言われたとしても、先ほどのエメラルドグリーンの川と同様、「秋芳洞よかったわ~特に何もなかったけど開放感があって、鬱屈した日々を一瞬でも忘れることができた!」などと満足して帰ることができただろう。

百枚皿のシズル感に夢中になる

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この棚田のような光景は「百枚皿」と呼ばれている。「千年杉」「八百屋」などと比べると数が少ないし、「皿」と言われても困惑してしまう。名前を聞いただけでは見たいとは思えない名前だ。
この棚田風の風景、棚の中は水だけで、もうちょっとマリモか何かを入れておいて賑やかにしてほしいという気持ちもなくはないが、ただ皿だけでも、ナメクジの背中のような模様がついていて、濡れ具合もナメクジのようでかっこいい。
この棚は水たまりが時間をかけて石灰化し、縁状になったもので、たしかどこかに、これが1センチ伸びるのに、70年やら80年がかかるといった説明があったと思う。多幸感に襲われて、うっかりこの皿にダイブしてこれを割ってしまったら気まずいだろうなとは思うものの、「1センチ伸びるのに○○年」の話をし始めたら、たとえばこの文を書いているパソコンを駆動させている電気のもとは、数億年前の生物の死骸が長い時間をかけて黒い汁になったことでおなじみの石油であり、あらゆるものから悠久の時を感じられて、「自分のちっぽけさを感じる」飽和状態になる。

魚眼レンズは人が写ってこそ楽しい

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このように魚眼レンズを使用すると見物人も写ってしまうのだけれど、大きさの比較ができて臨場感が醸し出される。ここに写っている見知らぬ誰かは、この写真においてはものさしにすぎないのだけれども、ぼくもまた誰かの写真でものさしの役をしているはずで、わたしも誰かがカメラを構えたら「ワオ」と吹き出しを入れたくなるような表情ができるようにしておきたいと思う。
なお、使っているレンズの限界のF値2.8で撮ったが、もうちょっと明るいレンズか、暗所に強いカメラがあると、よりくっきりと撮れると思う。

乾き気味の鍾乳石たち

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鍾乳洞というと、上から石が垂れているのを想像するけれど、秋芳洞では天井近くで地味に垂れているばかりで汁気も足りない。
垂れているものに圧迫されたければ、ほかの鍾乳洞をあたるべきなのかもしれない。



360度の黄金柱

秋芳洞の奇景のなかでも、「百枚皿」と並び称される「黄金柱」。
素麺の集合体のような巨大な柱を見たり触れたりできる。表面が濡れていて、絶賛製造中であることが感じられる。
ここはとくに魚眼レンズで撮ると天井と柱が同時に見えて、臨場感が楽しめる。
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天井部分はトムとジェリーに出てくるチーズのような形になっているが、夜はここにコウモリなどが帰ってくると思われる。

ここにもあった富士山

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円錐形のものはなんでも富士と呼んでしまう感性の貧しさはいかがなものかと思ったのだが、富士に喩えないと、「入り口から6割くらい歩いたところにある円錐形のもの」などという呼び方をせねばならない。そう考えると富士は必要悪だという気がしてきた。

名もない鍾乳石にも味がある

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特に名づけられていない鍾乳石もじっくり見ていると霊長類などの生き物に見えて楽しい気持ちになる。これは長渕剛を聞くことを覚えたチンパンジーに似ている。人類に比べてはるかに小さな彼の脳のうち8割が長渕剛の楽曲で満たされている。彼は一生をかけて長渕剛のすべての楽曲を覚えるのだ。

なお、土産物屋では、よりユーモラスな鍾乳石が置いてあったことも報告させていただきたい。
天然のセクシャルハラスメントである。
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しかしこれ、入り口に置いてあるから、こういうのが苦手な人は来なくなるので奥の方に置いた方がよいのでは、と思った。

クラゲの滝昇りか滝下り

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クラゲ状になっているところもあり、水族館に行きたいと思っていたが、秋芳洞に連れてこられてしまった人はここで溜飲を下げることができるかもしれない。クラゲの滝昇りに見えるか、クラゲの滝下りに見えるかによって、その人の精神状態を占える気もするが、精神状態を知りたいのであれば、単純に「調子どう?」と聞けば事足りるのかもしれない。

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この抽象的な形状の岩、マリア像でもいいし、観音像でもいいはずだけれど、海外の観光客と国内の観光客の両方にアピールするためか、「マリア観音」と称してある。これらの名づけは総じて雑である。

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名付けに困っているというのであれば、素直にわたしのところに連絡してきてほしい。


時間がない人はここで引き返すというのも手だけれど、お勧めしたいのは、バス停→秋芳洞→秋吉台→秋芳洞→バス停のルートで、秋芳洞を2回見て帰るコース。秋吉台を満喫したあと、暗くて湿った秋芳洞が恋しくなるので、最後にアンコール、という寸法である。

出口のタイムトンネルに合わせて歩く

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秋芳洞の入り口の反対側の出口の前は、時間のトンネルになっていて、まわりの絵が、生命誕生から、出口側に進めばすすむほど現代になってくる。
絵に合わせて徐々に文明化した方がよいのかなというプレッシャーを感じ、最初は背中を丸め、たどたどしく二足歩行をしながら、歩くごとにだんだん背筋が伸びてくるのだった。


そして現代に戻ったわれわれ……のはずだが、十分に現代に戻っていないように見える。
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休日なのに閉店しているということは、毎日閉店なのかもしれない。


秋吉台も地味ながら奇景

出口は湿度調整のため、内側の扉が閉まってから外側の扉が開くようになっている。

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ここから秋吉台までは500メートル程度で、途中の道中でキノコなどを無駄に発見しない限りはスムーズに歩ける。
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秋吉台は「カルスト地形」の代表として記憶させられるが、岩が雨水などに溶食されてできた地形を指し、このように、緑の中に、虫歯になった歯のような形をした岩たちが点在している。

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秋吉洞を見てから見ると感動が少ないのだけれど、その分、人もいないのが利点。


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展望台から秋吉台を一望できるし、近くには小さな博物館があり、そこでお茶を濁してもいいのだが、せっかくだから足が棒になるまで歩こうと思ったのだった。


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祝日でもこの程度の人出で、やや不安になる。実際、秋吉台は「使える国定公園」として、用途のひとつとして「走れる」を挙げている。高尾山で走られたら困ってしまうが、秋吉台だとちょうどよいかもしれない。
実際、人がほとんどいないという点だけでも、一人になるのが好きな人にとっては絶好の観光地で、草と岩しかないところをぶらぶら歩いているだけでも幸せな気分になれる。


初秋に行ったのだけど、トノサマバッタが往来のど真ん中で産卵中だった。
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土はわりと硬いはずだけど、バッタの性器も負けず劣らず硬いのだろうか。女性器が硬いというのは「女性=しなやかな感性」などの通俗的イメージとはずいぶん異なる。

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「外人=犬にメガネをかけた写真をInstagramにアップロードする」という偏見を持っている。

展望台の近くには秋吉台科学博物館がある。秋芳洞にかつていた生き物や現在住んでいる生き物の標本を展示している。
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どさくさに紛れて秋芳洞にいない生体も展示されており、いかがなものかと思ったのだが、原点に立ち返ると、この世にいなくてもいい生き物なんてないので、この目が退化したケイブ・フィッシュ(語感がKate Bushを思わせる)もありがたいと思うべきだと思った。

「秋芳洞冒険コース」は本当に冒険なので覚悟が必要

帰りの秋芳洞は、行きにみたときと違う角度から楽しむことができる。
知り合いに度を越して嫁好きの人がいたのだけど、奥様が前を歩いているところを見かけて、「あ~後ろ姿もいいねぇ~」と言っていて、まあ結構なことだ、と思っていたのだけれど、今ならその感覚がわかる。

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また、追加料金を払うことで、より厳しい「冒険コース」を回ることができる。
狭い道を歩くことができて、洞窟らしさが足りないと思ったのであれば、最後に補充することができる仕組みになっている。
両手をあけた状態で臨んだ方がよいと思うけれど、ハイヒールで最後までたどり着けていけた人もいたので、さほど大変でないのかもしれない。そのハイヒールのオーナーは、ムキムキな男といっしょにキャーキャー言いながら険しい道を登り降りしていたのだが、あんたもけっこうムキムキやでと思った。


ひとまず秋芳洞に行けたことで、数年分の洞窟分は満たされた。
とくに仕事で疲れている人にとっては大規模に胎内回帰ができるので、たとえば「金曜日に博多出張」という魅惑的な状況になった場合には選択肢に入れてもいいと思う。

辛すぎず、いろんな香りがする「スーパーマイルド五香ラー油」を自作し、辛さ一辺倒の世界から脱出する

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ココロ社のクッキングコーナーの続き。
今回からは「店では食べられないものを家で作る」ことに特化した記事を書いていきたいと思っている(ので、レシピを確立するのにすごい手間がかかっていてつらい)。

市販されているラー油はせいぜい50ccの小さな瓶に入っている。
決してこの写真のような売り方はされていないが、なぜこのようにしなければならないかについて、お話しさせていただきたいと思う。


今回紹介する、スーパーマイルド五香ラー油とは……
辛いのが苦手な人も大丈夫な、いろんな香りがする、しかも、市販のラー油より圧倒的に安く作れるラー油である!
辛さ一辺倒の世界から四川料理を自由にしたいという壮大な目論見もあり、それについては後日述べるけれども、この定義に納得してくださった方は、以下のレシピを実行していただければ大変ありがたいです。

【材料】
(1) 長ネギの青いところ3本分、あるいは、丸ごと1本分
(2) サラダ油 450ミリリットル
(3) 胡麻油(かどやの金印純正など、炒ってから絞るタイプのもの)50ミリリットル
(4) 干しエビ 20グラム
(5) 八角ひとつ(注:1粒ではなくて星1つ)
(6) シナモンの皮(桂皮) 10グラム
(7) みかんの皮 1個分(裏の白い糸みたいなのは取ったもの。乾いてなくていい)か、陳皮10グラム
(8) 唐辛子 20グラム(一味でもよいが、より細かく挽いてあるものが望ましい。キムチ用の「甘口」がおすすめ)


【製法】
(1) 長ネギを5センチ程度の長さに切る
(2) ボウルか耐熱容器に唐辛子を入れておく
(3) フライパンに、サラダ油、八角、シナモン、陳皮、干しエビ、長ネギを入れて、弱火で20分加熱する
(4) 金属のザルで油を濾しながら油をボウルにいれ、素早くかき混ぜる
(5) 常温近くまで冷めたらごま油を入れてかき混ぜて完成

 
 

安さだけではない、ラー油自作のメリット

ラー油の製法だけを読んでもピンとこなかった人もいるかもしれない。たしかにわたしもラー油を自分で作るまでは、ラー油を自作する人は、よほどのこだわりやさんであると思っていた。
しかし、実際に作ってみてわかったのだけれど、市販のラー油から脱却するということは、中華料理を作るにあたって、自由を手にすることとほとんど同義だと言っていいのではないかと思っている。

ここまで言っても、何のことを言っているのかサッパリ……だと思うので、なるべくわかりやすいよう、ラー油を、とりわけ、辛さをおさえたラー油を自作しなければいけない理由について箇条書きにさせていただきたい。

・市販のラー油は簡素なつくりなのにべらぼうに高い
・材料費をどれだけかけても、市販のラー油よりも安くできる
・辛くて安いので、いままでラー油を使わなかったところに大量に使って味に深みを出せる
・市販のラー油の味を越えることは大変簡単である
・長期保存が利くので、まとめて作ることができる


……長々と書きすぎたせいで、もはや箇条書きにした意味がなくなってきたのだが、市販のラー油高校を卒業し、自作のラー油大学に入学したら、いままでラー油を使うとは思っていなかったところでラー油を使い、おいしくいただくことができるので、ぜひお試しいただきたい。



「辛くて高い」ラー油から「マイルドな辛味でリーズナブルな」ラー油へ

小さな瓶に入っている市販のラー油は、おそらく原価は激安であるはずなのに、大さじ1杯50円という価格設定なのは、ラー油が辛すぎるからである。
餃子のたれに数滴垂らすという使い方であれば、1回当たり何銭というコストにしかならない。むしろラー油のコストというのは、あの瓶と、数滴をこぼさずに垂らすことができる機構に対するコストといえるのかもしれない。
しかし、この辛さと価格のバランスはあまりよいとはいえない。ラー油が、単なる「辛味をつけるときだけに少量用いるもの」になってしまい、もったいないのである。
後日詳しくお話しするけれど、麻婆豆腐や担々麺を自作するにあたって、「辛すぎなくて、いろんな香りのする油」が大量に使えたら、こんな幸せなことはない。

いまの話に近いコンセプトに沿って発案されたのが、「食べるラー油」。
もともと、中国ではラー油に具が入っているものもあったが、食べるラー油は、食べることを意識して、辛味が控えめになっている。
しかしこれもまた、食べないラー油と大差ない価格設定がなされており、おかずとしての地位を与えるほかなく、「食べるラー油」であると同時に「食べるしかないラー油」なのである……。

いまはちょっと世の中が「辛い is おいしい」に寄りすぎているように思うし、そのせいでラー油は本来持っている力を発揮できていないのではないかと思う。
ラー油を、辛味づけだけではなく、中華料理におけるオリーブオイルのような位置づけの油と考えたい。
麻婆豆腐や担々麺で気軽に湯水のように使いたいのである。オリーブオイルのように。パスタの乾麺100グラムでペペロンチーノを作るときに使うオリーブオイルは大さじ2杯。オイルをケチると健康にはよいものの、おいしさが控えめになるのは言うまでもない。そして健康を重視したとしても、きたるべき年金無支給時代に、長生きに必要な生活費をねん出できるかどうかは人によるだろう……。

また、餃子を食べるときに、いままでは醤油と酢をまぜたところに、ほんの数滴垂らすだけだったかもしれないが、自分で作った、辛すぎないラー油が潤沢にあるという状態だと1:1くらいの割合で楽しむこともできる。

ペペロンチーノにおけるオリーブオイルのようにして、中華めんにこのラー油と塩をあえて食べても、少なくともペペロンチーノと同程度の満足感は得られる。

前置きが長くなったけれど、材料を揃えるところから始めよう。冒頭にあげた材料を再掲する。

【材料】
(1) 長ネギの青いところ3本分、あるいは、丸ごと1本分
(2) サラダ油 450ミリリットル
(3) 胡麻油(かどやの金印純正など、炒ってから絞るタイプのもの)50ミリリットル
(4) 干しエビ 20グラム
(5) 八角ひとつ(注:1粒ではなくて星1つ)
(6) シナモンの皮(桂皮) 10グラム
(7) みかんの皮 1個分(裏の白い糸みたいなのは取ったもの。乾いてなくていい)か、陳皮10グラム
(8) 唐辛子 20グラム(一味でもよいが、より細かく挽いてあるものが望ましい。キムチ用の「甘口」がおすすめ)

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一般的なラー油のレシピと比べ、唐辛子は1/3程度にしてある。
八角、干しエビあたりは料理をあまりしない人は買いに行かないとないかもしれないが、長期保存が効くので、一度材料を揃えてしまえば二度目からは気軽に作ることができる。
中華街が近所にある人はそこで仕入れれば普通のスーパーの半額くらいで手に入る。
みかんの皮は、いわゆる「陳皮」のことで、中華料理で使う陳皮はマンダリンオレンジなのだが、みかんでもあまり変わらない。
今回は別に粉にするのでもないので、食べたみかんの皮の、白い糸みたいなところを取り去ったものをそのまま使う。
みかんが手に入りにくい季節なら、中華の食材の店で陳皮を購入して、10グラム入れればよい。ハウス栽培のみかんを皮を使う目的で買うのは、ビックリマンチョコを買ってシールを集め、チョコを捨てるのに似て退廃的な気分になってしまう。気持よく調理したいものである。
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調理法は、フライパンに胡麻油以外の材料を入れて弱火で温めるだけ。 弱火で20分。
ほったらかしでもよいのだが、乾いた物体がだんだん元の姿に戻ってくるのを見ていると、自分もまだやれるかもしれないという謎の自信が湧いてきて楽しいので、ときどきかき混ぜてネギをめくって干しエビや陳皮を観察して楽しむのもいいと思う。
油の温度はむやみに上げない。一般的なラー油の製法だと、油を高温にして、唐辛子の上からかけたりするが、われわれは辛味を引き出そうと思っているわけではない。
この「スーパーマイルド五香ラー油」 において唐辛子はあくまでも脇役。油を高温にして唐辛子以外の香りを飛ばすのはもったいないので、弱火でじっくりそれぞれの食材の風味を抽出したい。
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こうなってきたら完成。余分なものを漉してボウルに注ぎ、素早く唐辛子とかき混ぜる。

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写真だと辛そうに見えるかもしれないけれど、実際に口にすると、あとから控えめな辛味が感じられるだけなので安心していただきたい。
辛くなくてもきれいな赤色に染めることができる。
冷めてきたらごま油を混ぜる。

完成したラー油は、オイル差しに入れておくと楽である。ぼくはIwakiのを使っている。
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たくさん作ってポットに入れておき、オイル差しが空になったら補充する。
数滴垂らすという使い方はもうしないので、大さじではかって麻婆豆腐に入れたり、麺にちょっとかけたりするときに使いやすいような容器がおすすめ。

フルーティな香りとエビの旨味……priceless
味見と思って舐めていると無駄に食欲が促進されるので注意したい。

試行錯誤の果てに、この魔法の油を利用したスペッシャルな麻婆豆腐や担々麺の製法を確立したので、後日紹介させていただきたいと思っている。
ここにまた見にきていただければ大変うれしゅうございます。



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通称「日本一美しい橋」の角島大橋を、あえて徒歩で渡って島を一周した


ココロ社です。久しぶりの更新で緊張しちゃう……。

7月の話。山口近辺に行くことがあって、話題の角島大橋に行ってみるのはどうだろうと思って調べてみると、おなじ山口の人が「沖縄みたい!」という感想を書いているのを見かけた。そんな近いところに喩えてうれしいのだろうか、どうしても喩えたいというなら、外国に喩えればもっと楽しかろうと思ったのだが、では具体的にどこに喩えたらよいのか、わたしにもわからない。
調べてみたら、羽田空港から那覇空港に行くのと、山口宇部空港から那覇空港に行くのでは、30分程度しか変わらない。東京の人がもつ沖縄ファンタジーと山口の人がもつ沖縄ファンタジーは案外同質のものかもしれない。


道路や橋のように、単に必要に応じて作っただけの建造物でも、お、これはいわゆるひとつの文化系かも、これはエグザイルが好きな人が好きそうだな、など、文化圏の違いのようなものを感じることがある。角島大橋は、青い海、本州最長ランクの橋と、どことなくエグザイルが好きそうな人が好きそうな風景であって、給水塔などに心をときめかせてしまうマイナー文化系のわたしにとっては、単に風景と向き合うというだけでなく、異文化に触れることでもあると思う。

角島大橋という、BGMとしてはエグザイルがふさわしい橋に対して、わたしは、駅から歩くという誤ったアプローチをあえてすることにした。

特牛(こっとい)駅からバスを借りるか、あるいは下関でレンタカーを借りて回るのが常識であることは知っているが、わたしが降りた駅は山陰本線の阿川駅。
運賃は、決済方式において電車がバス状になっているので、車中で払う仕組みになっている。

ここから歩いておよそ90分。山を突っ切る最短距離だともう少し早く着くのだろうけれど、 退屈そうなので、海沿いの道を歩くことにした。

阿川八幡宮は誰もいなくて、ついついゆっくりしたくなる


ほどよく寂れた寺社を挟んでいかないと歩けない病気にかかっているため、ちょっと寄り道をして、鎌倉時代に建立されたという、阿川八幡宮を訪れた。

本来ならもっと南にあるはずのイヌマキが群生していて、ここが北限となっているようだ。

前言撤回で申し訳ないが、「沖縄みたい!」で愉快な気持ちになる。宮崎の青島神社を思いだした。

イヌマキは、鼻の濡れた従順な生き物とは姿かたちはほど遠い。
『犬菟玖波集』の「犬」と同じく、英語で言うならtinyの意味。
「マキ」は杉の古名で、つまりは「ショボい杉」である。
ショボくてもぼくは好きやで……。


念のため金次郎も撮っておいた。
この金次郎は、衣服の柔らかさや端正な顔だちなど、かなりできがよい。
「二宮金次郎」で検索をしてみると、よりこの像のよさが実感できると思う。
この出来栄えなら、金次郎を目指そうと思った人も多かろう。


何もない道こそ、イマジネーションの発揮しどころである



とくに名所らしい名所のない人気のない県道をひたすら歩くのだが、好奇心さえあれば、どこでも名所なのである。


たとえばこの廃工場のようなところはアウトサイダーアートの趣がある。


かなり精力的に立ち入り禁止を禁止しておられる工房があり、かえって入ってみたいという好奇心をそそられてしまったが、やはり入ってはいけないのである。



ここは養鶏場。調べてみると、ここで生産された卵は、直営店で、食べログ3.5点のスイーツへと変化を遂げている模様である。
鳥インフルエンザにかかってしまったら廃業になりかねないので、外部の訪問者にはかなり気を遣っているようだ。誰もいなかったが、咳をしないよう気をつけて通過した。



かつては無粋の象徴だったかもしれないトタン屋根も、いまや風情が感じられる。




海に出ると、元食料品店と思しき店の壁に、「原発絶対反対」と書いてあった。
反対運動が成功をおさめたから消したのか、成功も失敗も関係なく、ただ書いたものが色褪せたのかはわからないが、原子力発電所が建設されなかったことはたしかである。


原発のない港。
(あるかないかについて述べただけであって、ここでよしあしについて価値判断はしない)


海沿いに歩いていくと、島と橋が見えてきた。これがあの角島大橋である。



角島大橋は、観光ガイドの写真のことを忘れて楽しみたい





観光サイトなどで見る写真は、青い空、エメラルドグリーンの海で、よい条件で撮影されたか、撮影のあと加工しているかに違いなく、実物と対峙したときにがっかりする可能性が高い。だから、あまり期待しすぎないように……と言い聞かせながら歩いてきたので、ちょうどよい大きさの感動が得られたのだった。




なお、この橋はノーマルな感性の方は自動車で通過するが、わたしは駅から橋までを歩いたので、橋そのものも当然ながら歩いて渡りたいと思った。
橋の全長は1780メートルあって、この橋を渡れば、その満足感で、しばらく橋なしで暮らしていけそうである。


観光サイトでは、長い橋とエメラルドグリーンの海に目を奪われるが、歩いてみてわかったのが、角島に近い側がかなり急な坂になっていて、非常にスリリングであるということ。

特に上り坂のピークからは先が見えなくて足が震える。そして足が震えると轢かれてペシャンコになる確率が上がる。



この小島は鳩島と呼ばれているが、たとえ事実として鳩が集まることがあったとしても、鳩はたいていのところに集まるので、他の名前を検討していただきたかった。

戦時遺跡はあるものの、歴史は控えめな島である

橋を渡り切ったあとも道は続くので、メインストリートと思しき道を歩いていく。



途中、戦時中に作られた砲台跡があるが、とくに誰も気に掛ける様子はないし、草が生え放題である。 
向かいに弾薬庫として使われていたらしい穴がある。ここで遊んではいけませんと書いてあるので厳守しなければならない。
わたしは中に入って調査をするだけであって、決して遊んでいるわけではない。
中は活用法が不明だが、平和的なアイテムが置かれていた。
ジャパニーズリーサルウエポンのTAKE=YARIの可能性もなくはないけれど……。
関係ないが、TERIYAKIとTAKEYARIは似ている。

ほどなくすると、また海岸を通ることになる。

波が高かったので、7月の休日だったのに、遊泳禁止になっていた。
エグザイルが好きな人はこの島には泳ぎに来るのだろうから残念に思っていたのかもしれないが、遊泳禁止になっていたので写真は撮りやすかった。

しかしながら、はからずも遊泳禁止のフォントが泳ぐことの楽しさを全身で表現しており、もっと禁欲的なフォントでないとフラストレーションがたまってしまうのではないかと思われた。


とくに注意書きがないわりに気合の入った縄で飾られた道祖神的なサムシング。


大規模に立ち小便を禁止しているなぁと思って見たら、不法投棄禁止と書いてあった。
鳥居を描くとせいぜい立小便しか禁止できないが、木で鳥居を組み立てるとそれはもう神社であり、不法投棄をも防止できるのだ。


青空に赤いトタン屋根。コントラストが最高!


青空に青いバケツ。同系色で最高!

住んでいる人にとってはどうでもよい風景なのだろうけれども、見とれてしまう。



博物館があったので入ってみた。

地理的には、朝鮮との通信で栄えたことを示す遺跡が出てきてもよいように思うが、展示してあったのが、大陸から漂着した木の仏像くらい。
そしこれらを返さなくても怒られないのだろうか。
「返さなくてもいいですよね」と念のため聞いたら、「じゃあ返して」と言われそうな気がするので、わたしが担当だったら絶対に聞かないが……。

島の近くで見つかった新種のクジラ「ツノシマクジラ」の骨格標本が吊り下げてあるが、これはレプリカ。
本物は東京国立科学博物館にあるようで、都民としてなんとなくゴメンという気持ちになった。
この種のゴメンは旅行すると2回に1回くらいのペースで感じるゴメンである。

しかしこのクジラ、見つかったのが15年ほど前。
おそらくそれまでも何度も見つかっていたが、ちょっと個性的やねぇくらいにしか思わない人が多かったに違いない。
何か見たら「新種」と思うくらい無鉄砲な方が、新種を見つけやすいのかもしれない。


お!
これは教会でございますね。

この地にもキリスト教が伝来し、島民に愛されてきたのだろうか……牧師が島のちびっこにパンケーキを焼いたりして「キリスト教=幸福」のイメージを流布したりしたのだろうか……などと思ったが、なんのことはない。
映画の撮影で使ったセットを残しているらしく、中はトイレである。
一言でまとめると、トイレの神様である。

朝鮮からの特使がワンクッション置くには最高に島だと思うのに、ここまで歴史が見えないとは、実は何か隠しているのでは……とう疑念すら生まれてきたが、何かあるなら糸電話か何かでご教示くだされば幸いである。

海岸に降りて、念のため海岸漂着物を確認した。

大体こんな感じで、韓国からやってきたアイテムが多くて、日本海側やなぁとしみじみする。


なかで怪しい物体を発見。

不発弾か何かに見える。外側は朽ち果てているのに中の銅線はきのうにでも引かれたように見える。
外はカリカリでもなかはしっとりしていて、銀だこのたこ焼きのことを思いだしてしまった。

日本に2つしかない、無塗装の灯台

なお、近代になってから、この島に灯台ができた。
お雇い外国人のリチャード・ヘンリー・ブラントンによる設計。和歌山の友ヶ島のこじんまりした灯台も彼が設計している。
そんな彼も今はシロアリの親分みたいにツルツルのテカテカである。




色がついていなくて完成途上のようにも見えるが、もともと無塗装で、このような灯台は国内で2例しかなく、珍しい灯台なのである。
白く塗られた灯台よりも威厳が感じられる。煉瓦の規則的な継ぎ目が蛇のようで不気味なかっこよさがある。
お小遣いが足りなくて塗料なしで組み立てたガンダムのプラモデルもこんな感じだったかも。



灯台の中に入り、展望することもできるが、このブログの筆者は高所恐怖症であり、高所にて十分な写真が撮れないという欠点をもっていることをご了承いただきたい。



帰りはバスに乗り、橋を渡って、特牛(こっとい)駅で降りる。

バスから見て、坂のところで歩行者がヌッと出てきたら驚くだろうなと思ったが、わたしはスマートなので、ヌッと出てくる感じにはならないと確信している。






特牛駅は一見、廃駅に見えて、電車が来ないのではないかと思ってしまうが大丈夫。
駅員はおらず、駅員室も空になっていて、招き猫が虚しいが、決済方式がバスと同じなので無人でも問題ないのだった。

しかし、いい風情の駅で、バスを降りてから電車が来るまでの間に空き時間が確保できれば、待合室などでぼんやりできてよい。
歩き回った疲れが古びた木の椅子を伝って抜け落ちていくようだ。



車体のデザインは無骨だけれど、色がオレンジ色だと可愛らしい。
なんだか懐かしい色と形だなと思って調べてみたら、わたしの家の沿線だった片町線でも使っていたらしい。
木津とかそこらへんでこれに乗ったかな。


角島大橋、エグザイルを聞きながら、バスや車で行くのが常識的かもしれない。
しかし、ゆっくり歩きまわるとさらに楽しめるので、まる一日歩く予定で行くとよいのではないかと思う。


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仏様がダンスする。毎年4月14日に奈良・当麻寺で行われる奇祭「練供養」の一部始終

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せっかく春になったのだから、仏像が歩いているところを見たい―人間として、ごく自然な気持ちである。
仏像は立っているだけではなんだか物足りない気がするし、漠然と物足りなさを感じているうちに、それが、立ちつくしているだけで、この人は本当にわたしを救う気があるのだろうかという不信感へと変化しはじめたころ、カルト宗教の勧誘が心の隙間を狙ってやってきて、断り切れず入信してしまうかもしれない。信者の多いカルト宗教ならまだ救いがあるが、ケーキなどの甘いものは汚れた食べ物なので食べるときは必ず酢をかけて清めなさい、などといった教義を掲げる宗教に入信することになってしまったらそこで人生は終わりだし、しかも酢をかけることは来世への輝かしいステップにすぎないと思いこんだりしているのかもしれず、つまり、「動く仏を見る」という行為は、観光というよりも危機管理に近いのかもしれない。

―とはいえ、わたしは特に仏教を信じていたりはしないのだが、毎年5月14日(2019年からは4月14日)に、奈良の當麻寺で行われる「練供養」の様子をお伝えしていきたいと思う。写真は2014年のものだが、今年ももうすぐなので、休みが取れそうな人や、あるいはずっと休みの人のために見どころを紹介したい。


練供養とは、25菩薩のお迎えを受けて、生身のまま極楽浄土へ旅立つさまを表した、西暦1005年から続いているとされる儀式。極楽浄土シミュレーターとして知られる平等院鳳凰堂は1053年だから、極楽浄土の表現としては半世紀近く先駆けていることになる。
この儀式の主役であるところの中将姫は、26歳のときに一晩で曼荼羅を描いたとされており、それがこの寺の本尊となっている。享年29歳で、775年没。当時の平均寿命は30歳そこそこなので、7世代ほどを経て気持ちの高まりや伝説のミックスを経て、極楽浄土を具現化する格好の人物として抜擢されたのかもしれない。
なお、津村順天堂の創業者の実家には、中将姫直伝とされる薬湯の製法があったことから、ご家庭でバスクリンに浸かりながら「中将姫……」と想いを馳せるとクナイプよりも安価に同様の効果が得られるのではないかと思う。


16時開始だからといって16時に行ってはならない

練供養は16時に始まるのだが、14時半には到着し、場所を確保しておくことが望ましい。當麻寺には見どころがたくさんあるが、それは別の機会にするか、午前中に済ませておくなどするのがよいと思う。
練供養の迫力のある写真が撮りたいのであれば、来迎橋のそばに陣取ることになる。いちおう、舞台には手を触れてはならないとの放送が流れているが、その放送が耳に届いていないか、届いていても実行に移すのが困難な人もいる。
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高齢の方が多いため、気温が上がりすぎるとお客様の中で入滅される方がいらっしゃるかもしれないと思って妙なスリルを感じる。
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アニマルを持参している場合は、来迎橋の下の日蔭で休ませるのが安全なようだ。
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練供養は當麻寺以外でも行われているが、ここの練供養がオリジナルだと言われていて、およそ千年の伝統を誇る。
しかし細部の演出などに重々しい伝統を感じさせないところが面白いのだ。

冒頭でさりげなく現世に戻ってくる中将姫

中将姫が25菩薩に迎えられて入滅するシーンを再現するためには、いったん現世に戻ってくる必要があるため、冒頭で籠に揺られて来迎橋を渡ることになる。
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中将姫は、練供養の登場人物の中で唯一、生身の人間が演じていない。中将姫のお面をかぶって歩くのはちょっと面白すぎるから駄目だということなのかもしれない。そのせいか注目度も高くなくて、主役はダンスする菩薩たちに移ってしまったかのようである。

現世に戻って来るやいなやお迎えがくるというせわしない設定が好きなのだが、これは最近始まったのか、昔からそうだったのだろうか。

そのあと、何らかのご利益があるとされる紙片が撒かれる。
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当然、奪い合うことになるのだが、「図々しくしたもの勝ち」みたいなのって宗教的に大丈夫なの?といつも思ってしまう。
弱肉強食の世界に嫌気が差して宗教に入信したとしても、競争から逃れることはできないのだろうか……。

お待ちかねの25菩薩の登場

そんな寂しい気分を一掃するかのように、イカ状の烏帽子を身につけたDJがブースに入る。
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「YoYo中将姫は滅茶苦茶皺くちゃ継母のいじめを耐え抜き修行に励んだから生きたまま入滅お前らも修行したら生きたまま入滅も夢じゃないmake your dreams come true」的な意味と推測されるお経を唱え始めると、菩薩たちがそろそろと迎えにくる。


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ポロリも見逃せない

わたしが小学生のとき、スター水泳大会という謎のテレビ番組があり、時々水着が脱げてしまうタレントがいたのだが、これがいわゆる「やらせ」であることを知ったのはずっとあとの話である。
それはそうと、練供養でポロリが発生することがある。急遽メンテナンスが発生する。
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こういうときの菩薩の顔はもちろん固定のはずなのだけど、なんとなく困惑しているように見えてしまう。
これこそ仏像の造形の面白さで、どんなポーズをとっていてもその表情がふさわしいように見えてしまうのだった。
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祭りのハイライト、観世音菩薩と大勢至菩薩の共演

最後に観世音菩薩と大勢至菩薩がダンスしながら登場。観世音菩薩は蓮華座で、大勢至菩薩はガッチリと合掌して、中将姫を救済する。こんな頼もしいダンスなんて他にあるだろうか?
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お迎えのメンバーがすべてこの世に着いてしばらくしたら、今度は中将姫が入滅するために、来迎橋を渡って本堂(曼荼羅堂)に向かう。

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そして25菩薩も後に続く。
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一部の悪質な撮り鉄的なマインドの主がここにも……


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よく剃れた髭である。


……などと思ったら、
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菩薩の一人が謎のポーズ……
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またしてもポロリが発生していたのだった。

エンディングに一抹の不安を覚えてしまうところも含めて必見の行事である

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最後に、おそらく中将姫グッドラック&シーユーネクストイヤーという趣旨のお経を唱えるなか、中将姫はおとなしく帰っていくのだが、このときに流れる音楽は喜多郎先生の『絲綢之路』。
NHKのドキュメンタリー、シルクロードのテーマソングとして知られるが、千年続く中で最も長くても三十五年はこの音楽で中将姫が見送られていることを考えると、その三十倍以上の時の流れをさかのぼるとどんな行事だったのだろうかと思うと胸がときめく。

9年前に撮っていたものを再掲する。


練供養エンディング


若いころは、伝統行事が現代風に超解釈されているのを見かけると嫌な気持ちになっていたものだけれど、最近はそれを楽しめるようになってきた。


練供養が終わるのはだいたい17時半くらい。
1時間半の極楽浄土ショーだが、あっという間に終わってしまうし、写真を見ているとまた行きたくなってしまうのだった。

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